無限の進化

かつてシーケンサーといえば自動演奏という時代(※1)。まだシンセサイザーが珍しく、コンピュータ音楽というジャンルが成立していた時期でもある。そのころ初めてシンセをシーケンサーとつなぎ、手放しで音が鳴ったときのえもいわれぬ感動は今でも忘れない。たしかに私はそこに無限の広がりを感じていたのだ。来る日も来る日もわけのわからん音の羅列の打ち込みに明け暮れ、その結果として今に至ることになろうとは当時は想像もしてないが(^_^;)。

さて、その後のデジタル技術の発展によりシンセサイザーが自分で音を作り出すだけでなく、外の音を取り込むこと(※2)を覚えたのは革新的だった。一方、自動演奏器のはずのシーケンサーも負けじとその取り込んだ素材を自由自在に編集しつつ、譜面も書きます、シンセもありますという、音制作のデパートのような存在になっていく。そうやって巨大化したシーケンサーの勢いは止まらない。

ラックにマウントされた最新エフェクタ&メンテの行き届いたビンテージのアウトボード(※3)完全装備のスタジオで、128chの卓と完璧なオートメーションミックスを時間制約無しで使えるなんていう、ちょっと前までは想像もできない位の作業まで可能になってきている。

でかいスタジオでしか出来なかった作業が自宅のコンピュータ上で実現(※4)できるようになると、当然今まででは考えつかなかった様なクリエイティビティーが生まれ、音楽的な新たな発見も期待できる…

…ハズだ。
ところで、これら音楽とデジタルの結びつきは、実は音楽制作のあり方にも徐々に影響を及ぼしている。ヘッドホンステレオで自分だけの音楽をといった、聴く側における音楽のパーソナル化が着々と進行する一方、制作過程のパーソナル化とでもいう現象が起こり始めているのだ。作曲者、編曲者、演奏者、 レコーディング・ミックスエンジニア … といった制作過程に於いての役割分担が薄れ、代わりにコンピュータを握る者が、制作のすべてを握ってしまうという恐るべき状況。。。多人数が関わるプロジェクトであればあるほど、この形態は厄介なものとして作用するかもしれない。

しかしそもそも音楽が個人から発せられるものと考えれば、この先進んでいく方向としては間違っていないような気もするのだが、どうだろう。

とにもかくにも、ほんの昔シーケンサーというコンピュータ音楽をやるために生まれた一機器が、数々の変遷を経て今や音楽制作の体制そのものに変化を与えるほどの影響を持つまでになっている。過去に私が感じた無限の感覚は確実にこの時代へ流れ着き、さらに今なお進化を続けているのである。

※1. YAMAHAから出た低価格のMIDI Sequencer QX21が私の打ち込みデビュー。その後QX3を使い始め、Mac IIcx+Vision1.2という環境へと進んでいった。

※2. サンプリングというヤツである。そういえばシンセがシーケンサーを取り込んだ時もかなりセンセーショナルなものがあったが、シーケンサーが発達するスピードにはついていけなかったね。

※3. 新しいものだけではないというところが憎い。

※4. DAWともいわれるが、レコーディングした音をソフト的に調整しミックスできるシステム。実際はここまで単純な話ではないですが。
2002/6/19

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